17歳女子高生がバイトで出稼ぎ外国人と心を通わせた話
高校2年でお小遣いが月3000円か…。
休日に友達と出掛けたら1日で使い果たしてしまう。
最近は、練習していない部活の帰りにアイスを買うことが楽しみなのに、それも毎日はできない。
値上げは無理だよな。そう、高校生だから、もう親を頼ってはいけない。
ない袖は振れないんだから。
でも、兄がいるときには袖が出現するのはどうしてなんだろう。
とにかく、バイトをして自分が必要な分は自分で稼がないといけない。
夏休みに入り、母親にバイトをしてみようと思うと申し出た。
あっさり、彼女がパートで勤めている弁当・惣菜パンの製造工場を勧められた。
他に適当な働き口を見つけられなかった私は、母と顔を合わせなければ問題ないだろうと思い、そこでアルバイトをすることにした。
家から自転車で15分の距離にあるそのパン工場は、コンビニでよく見かけるパンや弁当を作っていた。
面接の予約をとり、簡単なプロフィールを伝えると、その翌日から働くこととなった。
工場の衛生管理はしっかりしている。
帽子にマスク。タイムカードを押した後に厳重な手洗いと手袋。人間は菌の塊なんだと体で覚えさせられた。
パート従業員のやることは、ベルトコンベアにのせられたパンに具材を挟んだり、弁当容器に食材を所定の位置に入れていくことなど、主にラインの作業だ。
単調で、根気のいる仕事である。
私はさっそく、焼きそばパンにショウガを載せる工程に入れられた。
準備すると、大量の焼きそばパンが流れてきた。
速い。
コンベアの流れるスピードが速い!
焼きそばをはさむおばちゃん、なんだよ、あれ。
はっきり言って職人技だ。
16歳の初体験の少女は、ショウガを落としたり、入れる位置が端っこになってしまったりでうまくいくことが少ない。
始まって10分もたたないうちに疲れてしまった。
これは根性だ。私は思った。
数時間後、弁当のラインに案内された。
ごはんの上に梅干しを載せる作業だ。機械でやらないんだ、これ。
ひたすら白い飯の真ん中に赤い点をつけていく。
これは簡単だった。しかし、単純作業がこれほど地獄だとは思わなかった。
時計を見るたび3分しか進んでいない。
夕方に帰る頃までに、いろんなラインの業務を経験していた。
適性を見られていたのだろうか。
クタクタになって帰宅した。
次の日は、パンを出す作業を命じられた。
縦に切れ目のあるコッペパンが2~30本入ったビニール袋が、一つのコンテナに載っている。この平たいコンテナがいくつも積み上げられている。
一枚のコンテナは少し重い。
それをコンベアの端に載せ、ビニール袋をビリビリと破り、パンを勢いよく穴の中に入れる。
これも単純作業、しかも強度が強めの動作が続く。
ここはラインの一番始めに立つ場所のため、周りがよく見える。
皆、無言だ。手つきは素早く、無駄がない。
当たり前のような顔をしてそれぞれの持ち場で業務を捌いているが、この職人技があるからこそ、時間通りに沢山の種類の食べ物がコンビニに並ぶのだと思った。
工場内では、マスクと帽子が人の顔を隠しているが、骨格が明らかに隆起して、肌が白い人と浅黒い人がいるのを発見した。
ひと目で外国人だとわかった。
へえ、外国人もいるんだ。
しかし、彼女たちもすごい手さばきだな。
高校生の私は感心した。
そう思いながらも、自分だって手は止めない。体力は自信があるから、どんどんとパン出しをする。
すると、まとめ役のパートが、私のところへ来て、言った。
「あんた、がんばるねえ。この前きた学生バイトは、疲れたと言ってすぐやめちゃったよ」
私もまだ2日目なんだけどな。ということは、1日で辞めたんだ。
確かに、もっと明るく楽しいバイトは他にあるだろう。
昼休憩では、社員食堂で格安のランチを食べられる。
パートのおばさんたちは仲のいいグループでテーブルを囲んでいる。
お弁当を持ってきている人もいた。
私はひとりだった。高校生の私を相手にする人なんかいない。
食べ終わってロッカーで荷物の整理をしていると、外国人たちが4~5人で固まって話に花を咲かせていた。
みんな明るいんだな。
一人と目が合った。
少しふくよかな、色が白い彼女は、にっこりと私に微笑んだ。
被っている帽子には、マジックで「ロシオ」と書かれていた。
ぎこちない笑顔を私も返した。
あれはスペイン語かな。
英語でないことは確かだった。
翌日、私は、なんと社員食堂の洗い場に連れていかれた。
人が足りないのだという。
別になんでもやるけどさ。
まさか、こんなに大量の食器を洗うことになるとは思いもしなかった。
16歳のポーシャは、使い勝手のいい、体力があって忍耐強い、安くて若い人材だったのである。
何日か社食の洗い場に入って、またライン作業に戻った。
また、弁当やパンの具材載せの単純労働地獄、もしくは職人技に近づこうとして失敗を繰り返す無情の世界へ陥った。
時折、外国人たちの隣に入ったり、共同作業をしたりもした。
そういう時間を経て、私は少しずつ職場に馴染んでいった。
一週間くらい経ったころだろうか、いつものように昼休みにロッカーで休んでいた時、社員さんが外国人を含む数名に対し、シフトを確認しにやってきた。
誰かが休んだり、生産の調整があったのだろう。
外国人が、自分は全て入れると言っていたのが聞こえた。
私の側にいたパートのおばさんが、「あの人たちは真面目だねえ。休まないしえらいよ」と呟いた。
確かに、彼女たちの真面目さは日本人よりも上だというのは、16歳の目にも明らかだった。
あの人たちはどこから来てるんですか?
そのおばさんに私は尋ねた。
「ペルー人だって言ってたわよ」
そうなんだ。
地球の裏側、はるばる南米からやってきたんだ。
じゃああれはスペイン語だ。
その日の帰り、わずかな小遣いの中からスペイン語の入門書を買った。
ある日、昼休憩のときに、先日目が合ったペルー人のロシオさんに声をかけられた。
人懐っこそうな笑顔で、わたしロシオです、と自分の帽子を指差した。あなた、なまえなに? と尋ねられる。
ポーシャ。
私の名前は欧米でもちゃんと通じる名前だ。
自分の名前を伝えたとたんに、ロシオさんは目を真ん丸にして驚いた。
スペイン語で何か言っている。
エスパニョールだかエスパニョーラだか、そんな言葉を言っていたのが聞き取れた。
スペイン人?と言ってるのかな。
私は首を振った。日本人だよ。
ジャパニーズ。
あ、これ英語じゃん。
スペイン語の本は全く役に立っていなかった。
$¥ハポネ*%&¥?
ハポネ?
日本って言ってるかな?
うん、と頷く。
ロシオさんは、へえ、というような表情をした。
わたし、ペルーからきた。24さい。あなたなんさい?
16歳。でももうすぐ17歳になるよ。
たんじょうび。すぐ?
うん、あと10日後。
そうだ、私は17歳になるんだ。
夏休みだから友達に祝ってもらったことはほとんどないし、親だって忙しすぎて忘れているしね。
今年は、バイトという働く経験ができたのはよかったかな。
ロシオさんは工場の近くのアパートを借りて、仲間とルームシェアをしていると教えてくれた。
ペルーには家族が待っているという。
日本に来てまだ8ヶ月くらい。
たくさん働いてお金を貯めて帰るんだと言っていた。
片言だけど、なんとか意味の通じる会話はできたと思う。
私のことを若いね、と言っていた。
そうね、この会社で最年少だもんね。
私は家族のためではないけれど、自分のお金がほしくて働いているんだ。
お互いがんばろうね。
その日から、時々ロシオさんと話すようになった。片言の日本語で。
外国人たちは残業があれば喜んでするから、帰りの時間帯は違ったが、昼休憩にほんの数分、ちょっとした会話を交わしたのだった。
それまでは、私にとって孤独なアルバイトだったが、友達ができたようで嬉しかった。
ロシオさんは、家族の生活費と弟妹の学費を稼ぐために、少しでも多く働きたいのだそうだ。
たまの休みに息抜きをして、疲れた身体を休めるとのこと。
他の外国人労働者も皆ペルー人で、家族のために出稼ぎに来ているらしい。
そうか。えらいな。
私なんかまだ恵まれているな。
仕事を続け、さらに二週間近くが経過した。
昼休みに、ロシオさんが小声で「ポーシャ」と手招きする。
なんだろうと思って近づくと、はい、と袋を渡された。
あ。誕生日だ。数日前、私は17歳になった。
ロシオさん、覚えててくれたんだ。
開けてもいい?と聞くと、ほほ笑んで軽く頷いた。
中身は、小さなグランドピアノの形をした、オルゴールだった。
こんな素敵なプレゼントをもらったのは初めてだ。
ねじを回して早速鳴らしてみる。
きれいな音色は、「いとしのエリー」だった。
嬉しくて、ちょっと恥ずかしいような気持ちもあったけど、やっぱり嬉しかった。
家族に送金するための大事なお金なのに、私になんか使ってくれたのか。
何とも言いようのない感情に包まれた。
「ありがとう、大事にするよ。今日、早速机に飾るよ。時々鳴らすよ!」
ロシオさんにそう伝えた。思わず、手を取ってしまった。
その日の帰りの足取りは、疲れているのに軽かった。
夏休みが終わるまであと1週間、私のアルバイトも終わりに近づいていた。
最後のシフトの日をロシオさんに伝えた。
ロシオさんは、悲しそうな顔をして、さみしいね、と言った。
私も寂しかったが、学校があるからもう来られないんだ、と説明した。
そして最終日、私は特にほかの方たちに挨拶をするわけでもなく、淡々と作業をこなした。
誕生日プレゼントのお礼がしたい。
そう思っていた私は、何かいいものがないかと悩んでいたが、結局よくわからず、コルクでできたカラフルなコースターのセットをロシオさんにプレゼントした。軽いから運びやすいし、家族みんなで使えるよ、と。
そして、仲良くしてくれてありがとう。いつか、ペルーに行きたいな。と伝えた。
ロシオさんはちょっと涙目になった。
「ありがと。さみしいね。ペルーきてね」
事務室で手続きを済ませ、工場の玄関にいくと、ロシオさんが待ってていてくれた。
元気でね。バイバイ!
「ばいばい!」
笑顔で彼女とは別れた。
17歳になった私は、家族のために異国の地でがんばる女性の健気さに心を打たれた。
そして、ペルー人という異人種で異文化の人が、こんなにも優しい心を持っているのかと感動を覚えたのだった。
高校生の自分の小さな世界観を広げてくれたのは、ロシオさんのおかげである。
・・・・・
あれ以来、ロシオさんとは連絡をとっていない。
ペルーに行くという夢は、まだとってある。
今も机の上にあるのは、グランドピアノの形をした小さなオルゴール。
サザンオールスターズの「いとしのエリー」を聴くたびに、私は彼女のことを思い出すのである。
終わり
サザンオールスターズ - いとしのエリー 『サザンオールスターズ キックオフライブ 2018』